1. HOME
  2. LEARN
  3. スーパーカー
  4. 夢を与え続けるランボルギーニ「ミウラ」誰もが唸る最高の一台、P400 #3171の歴史
スーパーカー
miuraP400#3171

夢を与え続けるランボルギーニ「ミウラ」誰もが唸る最高の一台、P400 #3171の歴史

2024年7月16日、&OWNERSはランボルギーニコレクションを発表しました。現在取扱うのは、「ミウラP400」と「カウンタック 25th アニバーサリー」の2モデル。本記事ではミウラと& OWNERSが扱うミウラP400 #3171についてご紹介します。


誰もが憧れる元祖スーパーカー!「ミウラ」とは?

「ミウラ」(Miura)とは、横置きミッドシップのV12エンジンを備え、公式発表された最高速度は300km/hを誇る世界最速のスーパーカーとして、スポーツカー分野に新たな基準を打ち立てたランボルギーニの最高傑作モデルです。

ミウラP400 #3171(撮影:AND OWNERS)

ミウラのストーリーが始まったのは1965年。11月に開催されたトリノ・オートショーにて、シャシー(自動車の基本骨格・構造)とエンジンのみのコンセプトモデル「TP400」が展示されました。この時ボディはまだ架装されておらず、ミウラという名前も付けられていませんでした。

TP400 (画像出典: Miuragirl at en.wikipedia, CC BY-SA 3.0, via Wikimedia Commons[FPG1] )

翌年のジュネーブ・モーターショーにて、ボディが架装された「ミウラP400」が登場しました。最高出力は350馬力。当初、創始者のフェルッチオ・ランボルギーニ(1916-1993)はミウラをランボルギーニの販売促進として30台程度の限定車と考えていましたが、100件以上のオーダーが殺到しました。

大衆の注目を集めたのはそのデザインです。カーデザイナーの巨匠であるマルチェロ・ガンディーニ(1938-2024)による、2シータークーペボディや流れるような曲線的な車体、特徴的なポップアップ式ヘッドライトなど洗練されたデザインが見る人を魅了したのです。1967年、ミウラの市販型販売のために量産体制を整え、1968年にミウラP400S、1971年にはミウラP400SVを発表。1台生産するごとに改良が加えられ、次のモデルである「カウンタック」へとランボルギーニの歴史は引き継がれました。

ミウラP400 #3171(撮影:AND OWNERS)
ミウラP400 #3171(撮影:AND OWNERS)

ランボルギーニを象徴するパワフルな闘牛

ランボルギーニのエンブレムにあしらわれている牡牛は、フェルッチオが4月28日生まれの牡牛座だったことに由来しています。フェルッチオは闘牛観戦が趣味だったことで知られており、ランボルギーニ車のモデル名には闘牛や牧場の名前がそのままつけられていることが多いです。「ミウラ」の場合は、ランボルギーニの別モデル「イスレロ」(Islero)の由来となった闘牛を飼育していた牧場名とそのオーナーであるドン・アントニオ・ミウラにちなんで与えられました。パワフルで勇ましく、鍛え上げられた闘牛は、ランボルギーニ車の洗練されたデザインやスピード、パワーなどを表現するのにふさわしいモチーフといえます。

ミウラのロゴ(撮影:AND OWNERS)

エンブレムは1963年の創業からデザインの刷新を続け、1998年からブラックとゴールドの2色構成になりました。重厚感や富、威厳、成功を連想させる存在感のある組み合わせは、所有者に充足感と自信を与え、ランボルギーニが追求してきた自動車技術革新のストーリーを象徴しています。

ランボルギーニのエンブレム(撮影:AND OWNERS)

ちなみに、ミウラの各モデルにつく「P」「S」「SV」にもそれぞれ意味があります。「P」とはイタリア語で“Posteriore”の略、日本語で「後方」を意味し、これはミウラのエンジンが車体後ろに搭載されていることから。「S」は“Spinto”で、直訳では「押された」という意味ですが、ミウラにおいては初代モデルを「チューンナップしたバージョン」であることを示し、「SV」は“Spinto Veloce”の頭文字をとって「より速い車」という意味です。

すべてのオーナーに愛された、#3171の旅路

ここで& OWNERSが扱うミウラP400の歴史を辿ってみましょう。ミウラ専門家たちによる緻密なレストア作業と、オリジナルのシャシーとボディ、かつマッチングナンバーであるV12エンジンによって、本車両は長年オファーされているミウラの中でも最高の一台です。メーカーのプロダクションシートと工場での記録に残された本車両のシャシーナンバーは3171、エンジンナンバーは1415。これは、スーパーカーのスペシャリストであるジョー・サッキー著『The Lamborghini Miura Bible』(2008)の内容とも完全に一致します。

ミウラP400において、細身の軽量シャシーフレームが採用されているのは初期型の124台のみ。本車両#3171はその124台中の第80号であり、博識のコレクターたちも憧れを抱く希少なライトウェイトモデルです。

シャシー#3171とエンジン#1415が記されたプレート(撮影:AND OWNERS)

ちなみに、ミウラの生みの親であるエンジニアのジャンパオロ・ダラーラが所有する#3165も、本車両と同様のホワイトのボディカラー、ブラックの内装の初期型のライトウェイトモデルだったそうです。同時期に生産された両車両はランボルギーニ・ポロストリコ(ランボルギーニでヒストリックカーのレストアやアーカイブを扱う部門)のスペシャリストによって、丁寧にレストアされました。

1967年〜:ホワイトからオレンジへと変貌

本車両は、1967年10月18日に製造され、ベントレー・パリとして事業展開するヴォイチュール=パリ・モンソー(Voitures-Paris Monceau)に納車されました。1980年代はヨーロッパ大陸に留まり、その後はイギリスへ渡ったと推測されています。1989年までにバーミンガムのジョン・ブリットンが本車両を購入し、ランドローバー・ワークスをはじめ、スコット・ガレージやRSパネルなど、クラシックカーのスペシャリストたちによって外装色はホワイトから印象的なオレンジ色へ。また、内装は世界屈指の車両内装のスペシャリストとして高い評価を得ているサフォーク&ターリーによって、ブラックから鮮やかなフレンチブルーのコンビネーションに張り替えられ、大きく変貌を遂げました。

さらに、コンクールで数々の賞を受賞しているイギリスのミウラ・スペシャリスト、コリン・クラークによって、オリジナルのランボルギーニ診断装置を用いたエンジンのリフレッシュと緻密な整備も行われました。ヘッドのマシン研磨、クランクシャフトにも亀裂テストが実施され、クラッチとウェーバーのキャブレター、ギアボックスがランボルギーニのスペシャリストによってリビルトされるなど、およそ15年に及ぶ熱心な品質維持の努力が、ファクトリーとのやり取りと請求書に裏付けられています。また、ブリットンは自身が所有していたフェラーリ400の車両登録をミウラへと移し、以来、本車両には「400NO」というイギリスのプレートが付属しており、本車両に注ぎ込まれた深い愛情を垣間見ることができます。

ミウラP400#3171の記録(撮影:AND OWNERS)

2004年〜:優雅さを競うコンクールに出展

2004年、本車両はイギリスのクリーブランド在住のマーク・バクストレムへ売却されました。残された請求書でも確認できるように、品質の維持と向上に努めていたバクストレムはクラークにメンテナンスを依頼し、2009年9月まで本車両を所有していました。その後スペインのコレクターの手に渡り、2012年のオートベロ・バルセロナのコンクール・デレガンス(主に優雅さと美しさに基づいて自動車やその他の車両を審査する展示会や競技会のこと)に出展。当時オレンジの外装とブルーのインテリア、ゴールドのホイールを纏っていた本車両は、カーデザイナーのヌッチオ・ベルトーネ(イタリアのトリノを本拠地とする自動車関連企業「ベルトーネ」の2代目経営者)の未亡人であるリリ・ベルトーネと共に登場しフォトセッションが行われました。彼女はミウラを選んだ理由として「ヌッチオが愛した車だから」と語り、この出来事は後に著名な自動車誌である『Car Magazine』にも掲載されています。

ボディ製造を担当したベルトーネ社のエンブレム(撮影:AND OWNERS)

2017年にはフランスに拠点を置く著名なコレクターが購入し、熱心なケアがされてきた記録が残されています。専門家による一連の鑑定も行われ、バルセロナのオート・ストリカ(クラシックカーの販売とレストア事業を展開する企業)にて数箇所のマイナーレベルの補修が行われるなどの末、本車両は再びオートベロ・バルセロナに出展。クラシックカー/コレクションカー業界における最大手オークショネアの一つであるRMサザビーズのプライベートセールス部門は、本車両について次のように高く評価しています。

「未だ輝きを失うことのないこの初期型ミウラは、格式あるコンクール・デレガンスやイベント、イタリアのカーショーでの展示に理想的だ。あるいは抜群に調整されたV12エンジンの猛々しいパフォーマンスと、独特なエキゾーストノートを堪能するためにドライブに出るのもいいだろう。レストアの請求書、前オーナーによるメーカーとのやり取り、イギリスの車両テスト証書と登録書、2017年に行われたフランスでの鑑定書などが文書化されたこの素晴らしいミウラは、どんなコレクションにも華を添える見事な一台であり、スーパーカーファンを唸らせるのは間違いないだろう」

ミウラP400 #3171(AND OWNERS撮影)

2020年〜:オリジナルへと生まれ変わり、映画祭に抜擢

2020年12月、日本の新しいオーナーの依頼によりさらなるコンディション向上を目指して、ランボルギーニ・サービスでの徹底したオリジナルへの復元作業が開始されました。ランボルギーニ・ポロストリコの創設メンバーでランボルギーニの専門家マッシモ・ピッコの監修のもと、イタリアのモデナにあるミラージュ・ボディワークにて総レストア作業が実施。ボディの塗装も全て剥がされ、1967年の工場出荷当時と同一のオリジナルのボディ色であるビアンコ・ポロ・パーク(ホワイト)を特別に調合し、再塗装。インテリアも、ランボルギーニの純正素材と加工を踏襲したオリジナルカラーのネロ(ブラック)で再構築。ステッチワークを含め、オリジナルに忠実な素材と入念な仕上げが施され、レポートに記載されているコンディションと一致する完全なオリジナル性が復元されました。

老朽化したパーツは、ランボルギーニが指定する希少なオリジナルの新品パーツへと交換され、サスペンションもオーバーホールとリフレッシュを実施。すべての電気系統システムは新たに配線が引き直され、キャブレター、エンジン、シャシー、およびブレーキに至るまですべてがレストアされており、エンジンは緻密な調整が行われました。ボルトとナットのオリジナルへの交換を含むすべてのレストア作業は2023年3月に完了。現代の道路事情に適合させるため、ミウラP400S、ミウラP400SVにも導入されたパーツを保持した上で入念なドライブテストが何度も実施されたのち、本車両は最高のコンディションとなりました。

ミウラP400 #3171(AND OWNERS撮影)

完璧に仕上げられた本車両は、2022年10月のローマ国際映画祭にて、映画『LAMBORGHINI the man behind the legend』(邦題:『ランボルギーニ、伝説を継ぐ男』)のオープニングパレードを飾る車両に抜擢されました。歴代のオーナーたちとスペシャリストによる愛情と努力で現代に蘇った希少な初期型モデルであるミウラP400 #3171は、大勢の観衆が見守る歴史的なパレードで出演俳優陣を華やかにエスコートし、ワールドプレミアを華麗に盛り上げました。

『LAMBORGHINI the man behind the legend』予告編

誰もが憧れる自動車メーカーであるランボルギーニの最高傑作「ミウラ」のP400 #3171にはこれほどの歴史が詰まっていました。オーナーからオーナーへと旅を続ける道の途中、全てのオーナーに愛を注がれていたことが分かります。スーパーカーの魅力はメーカーのネームバリューやデザインの良さだけでなく、何よりも「歴史」が人々魅了し続け、夢を与えてくれるのかもしれません。


▼ミウラP400 #3171の詳細はこちら
▼カウンタック 25th アニバーサリーはこちら
会員登録