「1分でわかるカウンタック」の#2となる本記事では、カウンタックが牽引した「スーパーカーブーム」についてご紹介します。
スーパーカーといえば? ブームの主役「カウンタック」
1971年、ジュネーヴ・モーターショーで発表されたプロトタイプ「LP500」、のちのカウンタックが発表された頃、高度経済成長期にあった日本は自動車産業が発展し、輸入車の数が増加します。そんな中巻き起こったのが「スーパーカーブーム」でした。
このブームを語るのに欠かせないのが、1975年から79年にかけて週刊少年ジャンプで連載された漫画『サーキットの狼』です。それまでの日本の車漫画には架空の車種しか登場していなかったのに対し、『サーキットの狼』はカウンタックをはじめとしたロータス・ヨーロッパやポルシェ、フェラーリなどの実在する車種が登場するという「リアルさ」が少年や大人たちの心を掴んだのです。
中でも、カウンタックは極端に低い車高やシザーズドア、リトラクタブル・ヘッドライトなど目を惹くデザインが強い人気を呼び、ブームの主役を張っていました。日本独自のこのブームを目撃した人にとっては「スーパーカー=カウンタック」というイメージをお持ちの方も多いのではないでしょうか。
日本の文化を象徴する存在へ、その夢は続く
当時、車が買えない子どもたちにとって、スーパーカーへの憧れや欲を満たしてくれるのが「グッズ」でした。スーパーカー消しゴム、スーパーカーカード、鉛筆、排気音を録音したレコードなどが大流行し、ブームを支えたのは子どもだったと表現してもおかしくはありません。
また、日本各地でスーパーカーの展示イベントが開催され、1977年には東京12チャンネル(現テレビ東京)で『対決! スーパーカークイズ』が始まるなど、マスメディアの力も加わってブームは絶頂期を迎えます。
そして1980年代のバブル経済期に突入すると、人々は趣味や贅沢品への投資に糸目を付けず、スーパーカーは「成功の証」や「自己表現」のツール、「充実した生活」の象徴としての価値も見出されるように。当時の少年が大人へと成長し、スーパーカーを所有するという夢を実現し始めたのです。この現象は第二次スーパーカーブームとも呼ばれています。
バブルが崩壊し、低迷を続ける日本ですが、その夢は褪せることなく続いているのは事実。カウンタックは単なる車ではなく、日本の一世を風靡した熱い文化を象徴する存在でもあるのです。その革新性と影響力は、今後もスーパーカー市場の指標であり続けることでしょう。
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AND OWNERS編集部